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【普通のママが整体で独立した話㉚ 京丹後市、福知山市整体サロン】
こんにちは!
pittamkoです!
なんだか
だんだん
終わりが見えてきた!
今日も独立のお話だね!
このブログは
- 3人の子を持つ理学療法士ママが
- 地元でもない場所で
- 一人で独立するまで
のお話を
連載形式で
投稿しています。
よかったら最後まで
読んでいってくださいね。
↓第1話はこちら
↓前回のお話はこちら
予想以上だった小1の壁
息子が支援学校に入るまでの経緯や
入ってからの生活の仕方をご紹介します。
息子が年長さんの間に
特別支援学校の入学説明会に
参加。
一番衝撃だったのが
朝の登校時間。
基本全員、スクールバスで
登校なのですが
私が住んでる地区に
バスが来るのが8;30。
当時働いていた職場は
8:30出勤だったので
ここですでにアウト。
保育園みたいに
早朝保育があるわけでもなく。
朝の出勤時間
以前のブログで書いたように
職場は家のすぐ近所だったので
8:30に息子をバスに乗せても
大幅に遅刻するわけではなかったんです。
ただ、8:30に見送って
8:30に職場に到着するのは
無理な話でした。
この点については
毎日10分遅く出勤する、ということで
職場からも了承してもらいました。
放課後の時間
朝以上に悩ましかったのは
放課後の過ごし方。
地域によって差はあるかもしれませんが
なぜか
私の住んでる地域では
毎日同じデイサービスに
通えない。
こどもの数に対してサービス事業所の数が
(おそらく)足りていないです。
フルタイムで働くママなら
「毎日利用したい」
というか
「利用できないと仕事にならない」
わけなのですが
「毎日、利用できますか?」の問いに対して
「確約できない」
というのが回答なのです。
(ちなみに今もこの状況です)
それでも
「とりあえず」は
月曜はこの事業所
火曜はこの事業所、、
という感じで
月~金、どの日もお世話になれる日を
なんとか決めることができました。
(これも一つずつ、見学・契約、、
入学前は怒涛でした。)
今となって思えば
フルタイム、という
働き方は息子の小学校期間たった1年で
手放してしまいましたが
入学前に
環境をしっかり整えられたこと
「フルタイムで夕方も拘束されてる」
という理由で
たくさんの事業所を利用できたことは
今となってはすごく助かっていて
大変だったけど
このとき頑張っておいて本当に
よかったと思っています。
とは言え、
放課後デイサービスも
延長ができない事業所も多く
だいたいが17時に自宅まで送迎。
当時の仕事の退勤は17時15分。
朝も毎日遅刻で出勤。
夕方も早退。
それでも会社側は容認してくれたので
正社員として働き続けることを
決めました。
新しい環境での息子の様子
「普通の」と言うと語弊がありますが
あえてわかりやすように
「普通の」という言葉を使うと
普通の子どもさんでも
小学校入学や新しい場所に預けるようになる、と
親はとても心配だと思うのですが
ましてや、自閉症の息子。
当時はすごく心配だったことを覚えています。
この時期は
コロナ1年目。
入学してすぐに休校になってしまい、
思いがけず
デイサービスで1日過ごすことが増えて
学校が始まったと思えば
すぐに夏休み。
慣れない場所が苦手な息子も
すごく頑張って過ごしてくれたと思うし
息子を預けて仕事に行く私も
仕事中も息子が心配で仕方なかったです。
順応していく息子
そんな私の心配をよそに
息子は毎日違うデイサービスで
楽しく過ごしてくれたようで
(もちろん支援員の先生方のお力が
あってですが)
学校にも少しずつ慣れてくれて
大変な毎日ではありましたが
文字通り「なんとか」
日々を過ごしてくれてたようです。
今でも朝のスクールバスに乗ることを
拒否して
私が学校まで車で送ることがあるのですが
1年生のときは
そんな日もなく、
仕事を必要以上に遅刻する、ということは
1度もありませんでした。
息子なりに頑張ってくれていたんだろうなーと。
結局、崩れるのは親
「息子が心配」
「息子、大丈夫かな?」
「自分は大丈夫」
「自分は気合で乗り切ればいい」
心のどこかで
この想いが出来上がっていました。
今となって
考えが甘いなと思うのは
こどもばかり心配するけど
こどもは大人が思ってる以上に強くて
結局、心配すべきは親。
自分自身なんだと
今だからこそ思います。
息子を預けて
出勤していた私は
それまで以上に
仕事ができることの
ありがたさを感じるようになり
「働ける時間がみじかいんだから
働いてる時間は今まで以上に
質の良い仕事をしないと」
そう考えるようになりました。
仕事をしてる人
雇ってる側(当時の会社がどう思ってたかは
わかりませんが)
としては上出来な答えなのかもしれません。
でも一人の母親
一人の人間として
この時間の使い方
本当に正しかったのでしょうか?
朝起きたら始まる障害児育児
預けた瞬間、出勤して
昼休みも休まず仕事をして
周りの職員さんとできるだけ
仕事量が変わらないようにして
早退したら
また始まる障害児育児。
恐ろしいのは
わが子は一人ではなく
息子だけでなく
娘も2人いて。
どうやって乗り切ってたのかなー
記憶がもう途切れていますが
旦那さんに協力してもらいながら
やってたんだと思います。
思い出すトラウマ
当時、勤務していた職場の雰囲気も
悪くはなかったと思います。
話しやすい職員さんばかりでしたし
同世代も多かった。
息子が支援学校に行くことになって
遅刻と早退での働き方になっても
理解してもらえたし
ここだけの話
理学療法士が一人しかいないので
「辞められたらゼロになっちゃう」という
環境だったので
こんな働き方が許されていました。
それでも毎日この働き方を続けていると
もう、どうしようもなく
周りに気を遣う、、。
そのときの同僚たちに
直接お聞きしたわけじゃないし
きっと、
皆さん理解してくださってたとは思うのですが
「自分の働き方、
良く思われてないのではないだろうか」
「もう辞めたらいいのに、って思われてるのではないだろうか」
直接言われたわけでもないのに
自分の勝手な憶測で
どんどんメンタルがやられていきました。
この感じ、なんか覚えてる、、
大阪に住んでるとき
3歳と1歳の子どもがいる状態で
妊婦で復職したときのこと。
誰かになにか言われてるわけでもないのに
自分が自分を責めすぎて
「きっと周りにも疎ましく思われてる、、」
こんな風に受け取りすぎて
しんどくなる。。
今思えば、めんどくさい奴。
でもその時は
日々が忙しすぎて
必死すぎて
そんな風にしか受け取れなかったんです。
頑張れば、頑張るだけ良い結果がでる
どこか
こんな方程式が自分の人生の中で
できあがっていたのだけど
頑張る方向が間違っていたら
あまり良い結果はでない
今となってはそんな方程式もあったんだと
考えてしまいます、、。
今日はこの辺で!
最後まで読んでいただき
ありがとうございました!!
次のお話はこちら↓
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